高崎圭悟 執筆ブログ

『ハイスコア 人生は最大限を目指すゲーム』著者 株式会社REAL JAPAN代表 高崎圭悟のオフィシャルブログです。

親の言うこときいてるようじゃ、親孝行なんてできない【原稿一部公開】

親孝行は、やって当たり前
将来の目標の話をやりとりしているとき、目標のひとつに「親孝行したい」が出てくることは、とても多いです。
そのこと自体は、とても良いですよね。すばらしいですね、と言いたいところですが、ここはあえて、本音を言ってしまうと、親孝行は、一人の大人として、するのが当たり前だ と思っています。
少し僕の話になってしまいますが、僕は26歳のときに父が急死しています。24歳で弟子入りして、 事業が軌道に乗り始めて脱サラして間もない頃でした。
25歳で会社員を脱出できたので、時間にも余裕ができ、やっと親孝行ができる! どこかの温泉に連れていってあげようか、と思っていた矢先の出来事でした。
先ほど偉そうなことを書かせて頂いたものの、僕は、父には何も返せていません。愛情表現などしない、いつも外でたばこを吸っていてコミュニケーションもろくにとらない不器用な父でしたが、 してきてくれたことのありがたみは筆舌に尽くし難いです。そのぶん、母親にたくさん返そう! と、今もできる限りの親孝行はしているつもりです。(シンガポールのマリーナベイサンズに連れて行ったときは、偶然同ホテルに訪れていたベッカムとすれ違った! と喜んでいました。)
小さい頃から、オシメを変えてもらったり、夜通し看病してくれたこともありました。
ずっとタダ飯食わせてくれたり......まさに、無償の愛で、たくさんたくさん、もらってきたと思います。
そのことにじゅうぶん応えた。じゅうぶん返している。それに胸をはれて、それでやっと、「自立してる」と言えるのではないでしょうか? 社会人になって自分の給料で生活してるってだけで、 「自立」ってことにはならないと思います。

 

やってもらってきた分を返して、やっと一人前。
その上で、親の予想を超えてこそ、喜ばせてるってことになると思います。
僕の場合は、まず天の父に誇れる生き方をしようと決めています。

 

生前の父の望みは、「せっかく大きい会社に就職できたんだから、その会社で定年まで働けよ」で したが、その点は完全にスルーしています(笑)
ここからは勝手な自己都合の解釈なのですが、仏教的な表現を使うならば、いま父は肉体を離れて魂になってるはずなので、魂的には「息子よ、現世で多くの経験を積んで、たくさん学んでこいよ」と思っているはずです(たぶん)なので、挑戦するほうを選び、人生での学びをたくさんたくさん積み上げている今の生き方を、父はこの上なく喜んでくれているはずなんです(おそらく)
恥ずかしげもなく言いますが、ここに関しては「ほら、見てみ! あんたの息子、けっこう自慢していいぜ」って胸をはって言えます。そうなるように、努力してきました。

 

母も(母はまだ生きてますよ)、「普通に健康で生きてくれればいいから」というレベルでしか僕に望んでいま せんでしたが、挑戦を重ね、母の想定よりもずっとずっと良い人生にしてきました。

 

「親の予想を超えてこそ、親孝行でしょ」と、僕はそう思ってます。

 

ここで言いたいことは、親の希望通りの人生をただ生きて、何が親孝行かということです。
親の注文通りに、右向け右の人生では、つまらないと思います。それは、「他人の人生を生きる」ことにほかなりません。
誰の人生でしょう?
親は最終的には、子供が「自分自身の人生を生きる」ことを喜びとするのではないでしょうか。